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禅と精神分析そしてメルボルン

先日、都内で禅僧とラカン派精神分析家の対談という形式での講演会があり参加した。 精神分析と仏教あるいは禅というテーマは私の関心事で、2000年代にメルボルンで精神分析の研修と研究をしていたのだが、禅の修行もすることになったことは、だいぶ前にこのブログの記事に書いた。先日の講演会の討論の時間では、私もコメントする機会が持てた。そして、なんと演者の禅僧はメルボルンで私が教えを受けた禅僧を知っていた。どちらも以前、米国で禅修行をした経験がありその当時から知り合いだったとのことだ。まったく世界は狭い。縁は不思議なものである。講演会の後の懇親会ではいろいろな分野の方々と話すことができ交流も広がり、有意義な午後のひとときだった。 さて、メルボルンの話になると私は熱くなる。一つ思いついたことをメモとして書いておこう。私はメルボルンに本拠を置く精神分析の組織に今も所属しているのだが、最近、5月下旬にその組織の名称が Lacan Circle of Melbourne から Lacan Circle of Australia に変更された。元々、メルボルンをベースに活動していたのだが、会員が他の都市に移住し地域的広がりを見せてきたため、国レベルの名称にしようという話になったのである。慣れ親しんだ名称が変更になるのは寂しい気もするが、地道な活動と発展の成果と考えれば嬉しいことだ。
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2018 夏のワークショップの行方

日本ラカン協会では夏と秋にワークショップを開催している。今年の夏のワークショップは、例年より遅くなり9月になりそうな状況である。スケジュールが確定して同協会のホームページに掲載されるのはまだまだ先のことと思われるので、参加を考えている方々の利便を考え、公式のものではないがお知らせしておきたい。

それにしても5月はあっという間に経ってしまった。5月31日もあと数時間という瀬戸際でやっと今月最初の記事である。仕事やら私事やらやることが山積して、やってもやってもまだまだゴールは、はるか先という感じである。書くネタはあるが、今夜はまだ仕事が残っているのである。人から見れば頼んだあの件はまだなのかと言われそうなのだが、実際に言われることもあるが、私としては一生懸命やっているのです。ご容赦くださいませ。

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したいことやらそうなってしまうということやら

ゴールデンウィークに入った。電車に乗ると、意外と人が多いとかあるいは少ないとか、いつもと人の流れが違うのを感じる。私はのんびりしたり、若干の仕事をしたりしているが、今日の午前中は英語で仕事のメールを書いていた。たいして長い文章ではないが、最近あまり書いていないせいか、時間はかかるし骨がおれる。英語力はどんどん落ちるばかりだが、そろそろ盛り返したいものだ。居間のテーブルにはしばらく前から英語で書かれた精神分析の本を数冊置いているが、なかなか読むところまでいかない。まあ、まずは傍に置くようになっただけでもよしとしよう。

何も考えないのでは何も始まらない。まずは、こうしようという意志を持つことが必要だろう。志あるところに道はあるのである。そもそも私が豪州のメルボルンに渡ったのも、海外で精神分析を勉強したり研修したいと思っているうちに、そのタイミングが来たのだった。なんの意志も準備もなく、突然行くことになったわけではない。もっとも、世の中には自分の意志ではなく、突如ある運命が訪れるというようなこともあるだろう。会社の中での転勤だって、自分が希望を出したわけでもないのに、命じられるということはあるだろう。

そう言えば、私も大学の医局に所属している頃は、あちこちの病院を回ったものであった。一応の希望を出してその通りになったこともあれば、予想もせず降ってわいたように話が出てきたこともあった。引っ越しは面倒だったが、いろいろなところに行ったりいろいろな経験をするのは今となってはけっこう楽しい思い出だったような気がする。

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日々

今年は桜の開花が早かった。私の住む地域では3月末に満開となった。もう桜は散っているが、ここにきて冷えるようになってきた。中には風邪をひいている人を見かけることがある。日中は暖かくても日が暮れると温度が下がってくるので気をつけなければならないこの頃だ。

家でやらねばならない宿題的な仕事は遅れており、来月はある研究会で発表する予定なのでその準備もしないといけないが、なかなか進んでいない。まあそういう思うにまかせない状況は珍しくないのだが、なんとなく気が重いのは、先日フランスから来日して研究会で講演をしてくださった分析家が急逝されたと聞いたことも影響しているのかもしれない。その方はオーストリア出身で、フランスに渡りラカンの分析も受けて精神分析家になったという経歴をお持ちだった。お話はとてもインスピレーションを与えてくれるものだったし、アフターの懇親会ではラカンとの分析体験も聞くことができた。お元気で頭脳明晰でそれほど早く亡くなってしまうとは想像もできなかったが、急なご病気で亡くなったとのことだ。

ひとの命は儚い。私もとっくに人生の後半生に入っている、そのことは自分でも認めているが、80、90、100まで生きるという保証はない。1日、1日を大切にして、悔いのない人生を送りたいものだ。

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いろいろと考える

フランスから分析家が来日して、先日、研究会が開催された。フランス語に触れると毎回のように、次の機会までにはフランス語を勉強しようと思うのだが、思うだけにとどまってしまう。そのあたりは残念なことだが、ともあれいろいろと刺激になり貴重な時間を持つことができた。それとは別の研究会で自分が発表する機会があり、またまたそれとは違うセミナーもあったりで、このところはけっこう勉強したり学術的な活動に参加している。

研究会ではトランスジェンダーの話も出てきたが、同性愛なども含めてこのあたりの話は前々からこのブログでも取り上げてみようと思いながら、そのままになっていた話題である。私が豪州に精神分析の学びを深めるために渡ったのは2000年だった。知り合いになった男性(と思われる人)と会話していたところ、パートナーのことを彼と言うので、彼女の間違いではないかと思いながら、そのまま聞いていたら、どうやらパートナーは男性だということがわかった。そしてまた、当時、日本では同性愛の人は肩身が狭く日本から豪州に移住してきた人もいるということを知るようになった。ラカン派精神分析の「性別化」の概念も知るようになり、自分が考えていた男とか女という概念が偏狭なものだったということに気づいたのも、豪州に行ってからである。

そう言えば、ここしばらく、豪州にもフランスにも行っていない。街も懐かしいし、人々はいまどうしているのだろう?そして最近の世間での話題である役所の文書書き換えの話。「父の名」がぶっとんでしまって天地がひっくり返るような感覚だ。


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体力のいるジャズライブ鑑賞

忙しいと言いたくないが、やることが多く目が回りそうな日が続いている。研究会で発表するということもあったが、参加する研究会やセミナーも目白押しだ。近々には、ヨーロッパから分析家が来日し、研究会が開かれることになっている。このブログの記事も今月は書かず仕舞いで月末となったが、今月も明日で終わってしまう。

こんな前置きのようなことを書いているわけだが、今日のテーマのようなものは何も浮かんでいない。今月の記事がゼロになるのはなんとか阻止したいという思いだけが働いているようである。一昨日あった研究会の後の懇親会では、趣味を持っていたほうがいいねという話が出た。例によって、私はジャズの話をした。

と、書いていると救いの神のように連想が浮かんできた。今月は時間がなくあまりジャズのライブに行けなかったが、特筆すべきことがある。東京の吉祥寺にメグというジャズの店がある。1970年に開店した老舗のジャズ喫茶だったのだが、後にライブをやるようになったのである。オーナーはジャズ評論家の寺島靖国さんである。そのジャズファンの間では有名な店が今月、すなわち2018年2月一杯で閉店することになった。吉祥寺は私の家からは遠くて行きにくいので、メグに行くという機会はほとんどなかったのだが、ジャズファンを自称している私としては、ここはなんとしても、遠征をしてメグ体験をしておかねばなるまい、と考えるのは自然なことであった。丁度いい具合に、ジャズ喫茶だったメグが初めて生のライブをした時に出演したシンガーの Maya さんがメグ閉店最後の月に出演するという。Maya さんは、最近はメグに出ていなかったのだが、閉店するということを聞き、直々に寺島オーナーに連絡し出演が決まったのだそうだ。

幸い、自分のスケジュール上、行けそうだ。問題は遠いので早めに帰らなければならないが、これも翌日のスケジュールを考えると、近くに泊まって翌朝そこから仕事に出かければなんとかなりそうだ。ということで、結局、泊りがけでスタートから終演まで聴くこととなった。メグは予約のできない店である。混雑が予想される時には、早く行って並ばなければならないのだ。寒い中を開店前から並び、無事、店内に入ることができた。ところが、ここで問題が生じた。メグは元々、ジャズ喫茶だっただけあり、ライブをやりやすい構造や広さではない。テーブル席には座れず、結局、なんとか通路に臨時でおかれた折り畳み椅子に座ることになった。座ったからこれでほっとするというわけにもいかない。ひとが通路を通るときには、体をくの字に折り曲げ前傾姿勢を取り、ひとが通れるようにしないといけないのである。なんとも、体力のいるジャズ鑑賞である。

そろそろ、ライブの内容に話を展開させないといけないのだが、頭が働かなくなっている上に、明日は早起きしないといけないのだ。どんなライブだったのかは、関心のある方はMaya さんのブログをご覧ください。記事の題名は Meg となっている。おやすみなさい。

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そろそろ1月も終わりなのだが

あるジャズバーに行って、演奏が終わった後も、いろいろな人がやってきて、マスターとカウンター席の数人で雑談になった。もちろん臨床の現場は私にとって真剣勝負の場であるが、いろいろ、よもやま話をしたり、そこから世の中について生きることについて考えることも間接的に精神科と精神分析の臨床に役立つ。雑談は遊びであり気分転換の場であるが、どこかで仕事にもつながっている。これは当たり前と言えば当たり前のことで、仕事、余暇、遊び、趣味などを完全に分けられるわけでもない。たとえば、声楽家で耳鼻科医という方もいらっしゃるらしい。もちろん、そのドクターが歌手に大いに頼りにされるていることは疑いようがない。今をときめくジャズミュージシャンのK氏は、神経症になり精神分析を受け気功をやったのだそうだ。なおこのことは、K氏がエッセイに書いたり、ラジオ等で自ら話されていることなので、公にされていることである。逆に言えば、自分の病気のこと、治療のことも、書いたり話す種になるということである。そして、この私のブログは精神分析がテーマではあるが、ジャズのことも「気」のことも今まで書いてきている。

高校のクラス会もあった。ここ数年、毎年1月に都内で開催されている。いつも同じ人が幹事をやりみんなにメールを出して出席を確認している。感謝に耐えない。私なぞは1回たりともそんな役はつとまりそうにない。クラス会では、一人一人が近況報告をした。私はジャズ鑑賞が趣味であることと、1年少し前からジャズヴォーカルもやり出したことを話した。そして、気分転換や趣味が大事で、自分に合ったものをやるとよい、と言ってみた。これがなかなか受けたようだった。ジャズが昔から好きなんだと語ってくれた友人もいた。彼は仕事でニューヨークにいて、たまたまジャズバーに入ったら、隣にレコードジャケットで見たことのある人が座っていた。思いきって話したら、なんと伝説的な名ドラマーのアート・ブレイキーご本人だったという。握手もしてもらったのだそうだ。

握手と言えば、私は、ヘレン・メリルさんという大御所のジャズシンガーに握手をしてもらったことがある。ライブ演奏を終えて、楽屋に帰る途中、こちらから手を差し出したのである。歩きながらだからほんの短い時間ではあったが、何十年ものジャズ人生のエネルギーを手から感じた。そして、先日は、ピアノの大御所、菅野邦彦さんに握手をしてもらった。鎌倉のダフネというジャズライブの名店での演奏は涙が滲んでくるほど素晴らしく、菅野さんも当日の演奏はのっていて、通常のライブよりずいぶん長く演奏されて終演は23時半頃になったのである。控え席に戻られる通路のところで一度。そして、会計を払い帰るときに二度目。しかも、菅野さんの方から手を差し出して頂いたのである。まったくもってジャズファン冥利につきる。菅野さんは現在81歳である。共演者もついていくのが大変だったと同情してしまうほどのエネルギッシュな演奏を長時間されていた。

話はクラス会に戻る。近況報告で、健康の大切さを力説した友人がいた。まさにその通りである。私の年齢になると、既に亡くなっている同級生もいるし、生死の際まで行って、踏みとどまった人もいる。健康を保つにはどういうことに気をつければよいのか、と自分なりに考えてみると、栄養、運動、休養、の3要素ということなるのではないかと思う。運動は、体の運動もあるし、頭を使うというのも広い意味での運動になるだろう。どうぞ、読者の皆さまも、健康に注意して、あるいは持病のある方はうまく付き合って、今年をよい年にしてください。
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謹賀新年 2018

新年となりました。
と思ったら、もう1週間。
本年もよろしくお願いいたします。

このブログは思いついたことを綴っているだけで、あらたまって何かを主張をしようとか、論陣を張ろうというものではありませんが、気軽に読んで頂いて考えるヒントになるようでしたら幸いです。一応は精神分析と精神医学を念頭においた上での思いつきですが、どちらの分野も、生きる、ということにつながる幅広い分野なので、特に専門的知識がなくても読んで頂けると思います。

先日、友人と話していて、今年の目標は何かと聞かれました。特に決めていません。決めるよりも前に、何も考えていません。なんとなくふらふらと、自然に、急ぎすぎもせず、サボりすぎもせず、いつの間にか、あれっ、けっこう充実していろいろなことができたなあと振り返れる年にしたいと思います。果たしてそういう年になるのか?楽しみにしつつ、日々を送りたいと思います。
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雑ではない雑談

私は月1回の精神科デイケアの集団精神療法にスタッフの一人として参加している。何かテーマを決めるということはなく、その場で思いついたことを話してもらう。その時、その時で、雰囲気がちがったり、なかなか味わい深い展開になって、その時間が気に入っている。12月、今年の最終回では、今年を振り返るという話になり、私は草間彌生の展覧会に行ったことが印象深かったことを話した。絵画や歌などの話題につながり、なかなか意義深い話になった。

そもそも自由連想は思いついたことを話すので、一見すると雑談に近いところがある。だが、そこから世の中のこと、自分の性格や行動のこと、自分が考えていたこととは別の視点もあるということなどを、考える契機となるというところがミソなのである。別に精神分析だとか精神療法と堅苦しく考えなくても、ふだんの雑談でもそういう展開となることはあるだろうし、話すということでのカタルシス効果が得られることもあるに違いない。

インターネットでは、過激な発言をしたり、状況から考えてやらせとは思えないことにやらせだと囃し立てたり、まったく思考力がないと思われるワンパターン的な誹謗中傷が見られる。そういう現象がけしからんとか、フィルターのようなものを作って過激な発言は流布しないよう規制しようなとという話を聞く。だが、その背景を考えてみると、もしかしたら、雑談の機会というものが昔より減っているのではないか、という連想が湧いてくる。

数十年前は、会社の交際費というのが今より大幅に認められていた。会社員は、けっこうそういう金を使って飲食をしていた。あるいは、自腹で飲んでも会社からタクシー券をもらって帰宅したりと公私混同のようなこともあっただろう。飲みに言って、愚痴を言うなどという機会も今より昔の方が多かったのではないか。

話が逸れてきたので戻そう。一言に雑談というが、雑という文字からは、たいしたことがないと下手をすると軽く見られそうな、雑談。それにも相当の効用があるのではないだろうか。昔は、直接会ったり電話をしたり、あるいは自分の書く文字で手紙を書くなどして、人と人との交流が成り立っていた。今は、SNS やメールがコミュニケーションのかなり多くの部分を占める。実際、SNS でのやり取りはあるがまだ実際には会ったことがないという友人を持っているひとは多い。昔はペンパルという文通友だちがいたじゃないかという意見も出てるかもしれないが、ワープロもパソコンもない時代では手書きの手紙で、それなりにその人らしさは伝達されていたのである。今は、文字はフォントを変えることはできても文字はお仕着せのものである。写真も、加工が可能である。直に交流するのではなく、何か作り物を介しての交流という度合が強くなっている。

パソコンやスマホを離れ、直接話す。そのことの意義は今まで以上に大きくなっているのではないだろうか。最初から何かだいそれた目的がなくてもいいのである。今はマニュアル社会になってしまって、目的、手段、方法、結果をきっちり描かないといけない、というような風潮になっているが、人と直に会って何気なく雑談、駄弁る、ということがあってもいい。けっしてそれは雑なことではなく、意味のあることだという逆説が存在すると思うのだ。
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合掌

ラカン派のベテラン精神分析家の Serge Cottet 氏が先日亡くなった。そういう知らせを聞いたかと思ったら、今度はジャック・ラカンの娘の Judhith Miller 氏が亡くなったという知らせが入った。私自身は、両氏ともお見かけしたことはあるが直接話したことはないので何か個人的な思い出があるというわけではないが、日本のラカン精神分析の関係者では交流のあった方々もいるので、その悲しみ、残念な思いを聞き知ることがあるこの頃である。お二人が今まで精神分析を牽引されてきたご尽力に敬意を表したい。

私が初めてラカンの存在を知ったのは、彼が亡くなり、ある日本の雑誌に追悼特集として取り上げられた時のことだった。かれこれ30数年前のことだが、そろそろラカンに直に接した世代が亡くなってきたということになる。感慨深いものがあると同時に、私なりに精神分析に貢献しなければと身の引き締まる思いもしてくる。



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